(出典 i.imgur.com)
ホームランに憑かれた男~孤高の奇才・門田博光伝第6回
前回の記事はこちら>>
コロナに翻弄された1年が終わろうとしていた昨年12月半ば、とあるホテルのミーティングルームで門田博光に話を聞いていた。部屋は空調機が常時作動し、テーブルの中央には透明のアクリル板。もちろん、ともにマスクをつけての対面で「ほんま、しゃべりにくくてしゃあないな」という門田のボヤキを聞きながら、いつものようによもやま話が始まった。
この日の話題は年末らしく有馬記念から年末ジャンボ宝くじへと流れ、そして野球へとつながっていった。この少し前に福留孝介が中日、内川聖一がヤクルトへの移籍が決まっており、ベテラン選手の去就、決断といったところで門田の口数は増えていった。
「福留がいま43歳ということは、来年、俺が引退した歳になるのか。俺が決断したのは、体にガタが出始めていたのもあったけど、一番は精神的なところやった。ふと周りを見たら、それまで心皿注いで勝負してきた(山田)久志や(村田)兆治、鈴木啓示らのエース連中がおらんようになっていて、『誰に向かっていったらええんや』となってな。
バッターを見ても俺がナンバーワン(王貞治)や19番(野村克也)を追いかけたように、『天下獲ったろう!』という気で追いかけてくるヤツも見当たらん。いっぺんに寂しくなったところに新聞報道や周りからもいろいろ声が聞こえてきて『もうええか』となったんや」
夏場から試合に出場することなく、最後は野茂英雄のストレートに3回渾身のフルスイングをし、バットを置いた。これが44歳の秋。
近年、選手の寿命は延びているが、選手生命の延長と活躍はまた別の話だ。門田は最後のシーズン、65試合に出場して7本塁打。44歳の選手の成績としては十分だと思うのだが……。
「王さんは30本打っても引退して、ノムさんはボロボロになるまでやると言って45歳まで。まあ、決断は人それぞれや。今は一流どころが辞めたら、次の年の年収は10分の1くらいになるヤツもおるんやないか。解説の仕事も、俺らが始めてしばらくの頃は、それなりのクラスは年俸制で、そこそこの額を貰えたけど、途中からは節約なのか、1試合いくらの契約に変わり、金額も減っとるはず。
コーチ職を約束されているような選手でも、現役の時ほどもらえんし、生活を考えたら『1年でも長く現役で』というのが本音やろう。まあ、今は情報も多いし、頭のええ選手も増えとるから、そのへんはしっかり考えとるわ」
1/15(金) 11:10
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20210115-00917520-sportiva-base
(出典 i.imgur.com)
(出典 i.imgur.com)
>>1
世代的に門田は現役晩年しか知らなくて、引退後は指導者や解説とかほとんどやってないから、ノムさんが「門田・江夏・江本には手を焼いた」みたいなこといっても、門田だけどんな人だかピンと来なかったけど、このインタビューでなんかよく分かった気がする。
約30年前の記録をたどりながら話していると、門田は「そう言うたら……」とこれまで耳にしたことのないエピソードを語り始めた。
「俺が引退するという報道が広がった時、ユタカが電話してきたことがあったんや」
“ユタカ”とは、南海で2年間一緒にプレーした江夏豊のことだ。ともに一匹狼タイプにして寂しがり屋。多くを語り合うことはなかったが気持ちは通じ、大阪球場での試合終わりには、門田が運転しない江夏を車に乗せ、自宅まで送ることもたびたびあった。その江夏から、引退報道の最中、門田のもとへ電話が入った。
「なんやろうかと思ったら『ヤクルトに行くつもりはないか』って言うてきてな。こっちは新聞にも”引退”って文字がデカデカと出て、辞める段取りができていたから『その気はない』と言うたんや」
江夏自身、現役の最期に燃え尽きる場を求め、メジャー挑戦のため海を渡った。シーズン半ばで聞こえてきた盟友の引退報道に心の内を察し、燃え尽きる場をつくってやりたいと思ったのかもしれない。
その場所がヤクルト──。当時のヤクルトの監督は野村だ。江夏にとっての野村は、先発からリリーフ転向を進言し、選手にとっての生きる道をつなげてくれた恩人でもある。江夏からの電話の意味を、門田はこう推測する。
「あの頃、ユタカは解説をやっとったはずやから、とくに俺をヤクルトに勧める理由があったわけやない。ひょっとしたら、おっさん(野村克也)と話でもした時に”門田”の名前が出て、本人にその気があるなら(獲得を)考えようか……と。そのへんの感触を確かめるための電話やったんとちゃうか。あくまで俺が勝手に思うとるだけやから、真相はわからんけどな」
野村と門田の仲は、当時もその後も”微妙”な感じで伝えられてきたが、門田はキッパリとこう言う。
「ほとんどはマスコミが面白おかしく言うとるだけやし、おっさんは勝つために必要やと思うたら、声をかける人。そこに好き嫌いは関係ないわ」
もし移籍が実現していたら、門田の現役生活はどう展開していったのか。セ・リーグには指名打者制度はない。
「何試合か守ることはあったとしても、まあ基本はひと振りやろうな。”あぶさん”や」
この話を聞く少し前に『あぶさん』の作者である水島新司が漫画家の引退を発表していた。現役時代、水島と交流のあった門田はあぶさん(景浦安武)のチームメイトとしてたびたび作品に登場している。つまり、門田がひと振りにかけるあぶさんと同じ野球人生を送っていたかもしれなかったわけだ。
「代打・門田」は強烈なキャラクターと相まって、人気を博しただろう。とくにアキレス腱断裂から復帰してからは、一発必中のスタイルを追求し、40歳で本塁打と打点の二冠王を獲得。打席のなかで鳥肌が立つほど集中力を高め、結果を残し続けてきた。
◆村上、清宮、安田は本物のスラッガーか。門田博光がこだわりの大診断>>
だからこそ、門田には1打席勝負の代打稼業がピタリとハマる気がした。「代打ホームランを年間3~5本打てば”代打の神様”になっていましたよ」と向けると、門田の目が一瞬険しくなり、「何を言うとるんや」という調子で返してきた。
「たった5本でどうするんや。やるなら、代打でキングや。ターゲットをそこに置かんでどうするんや」
10年近くも話を聞いておきながら、まだ門田の本質を見誤っていた。代打で年間2割8分、30打点、5本塁打程度の成績で満足できる男であるはずがなかった。
「あの頃はシーズン130試合やから、毎試合1打席立ったとして、40発打つには3試合ちょっとで1本のペースか……。なかなかのノルマやけど、コンディションと集中力が続いて、相手がきっちり勝負してきたら不可能やない。一度、規定打席をやっとこさ超えた年に40発打ったこともあったしな」
門田が言うのは、アキレス腱断裂から復帰した1980年の話だ。シーズン途中に足に死球を受け1カ月近く戦線離脱。規定打席をわずか27打席オーバーの430打席(377打数)で41本のホームランを打つなど、「休んでなかったら60本も見えとったと今でも思う年や」と振り返る絶好調のシーズンだった。
ちなみに、この年は111試合に出場しており、つまり2.7試合に1本の割合でホームランを打っていたことになる。「代打でキングも不可能やない」と言った門田の途方もない言葉にリアリティが灯る。
なにより、誰もが思いつかないこと、不可能と思えることに「よっしゃ!」と挑んできた男だ。”限界突破”を自らに課し、数々の伝説、記録を成し遂げてきた。
門田がユニフォームを脱いだ1992年は、野村がヤクルトの監督就任3年目で初のリーグ制覇を果たした年である。その翌年、再び監督、選手としてふたりが同じユニフォームを着て戦っていたとしたら何が起こっていたのか……。
「試合終盤におっさんが『代打・門田』を告げてワシの出番や。ベンチを出る時、おっさんに『今日は一発か三振でいく? それともヒットでええの?』と聞くんや。これにおっさんが、ボソッと『わかっとるやろ』と。そこからひたすら集中して、狙いを定めてガツン。あとはゆっくりダイヤモンドを周って、『はい、今日の仕事は終わり。お疲れさん』や。なんや、話してたらだんだん面白なってきたな(笑)」
実現していたら、どれほどのドラマがおき、どれだけの数字を残しただろう。代打本塁打といえば、高井保弘(阪急)の27本がある。門田の言葉が現実となっていれば、この世界記録さえ1シーズンで更新されることになる。
「そら、やるならターゲットはキングや。そこを目指さんで何が面白いんや」
もう一度、門田はいった。まさに”漫画”のような夢物語だが、それでも「ひょっとして……」と思わせる力が門田にはある。”代打屋・門田博光” ──できることなら見てみたかった。
バレンティン
日本記録の60ホームラン
規定打席未到達でホームラン王
規定打席到達者最低打率でホームラン王
ヤクルトに行ったのは義弟の満じゃなかったか
そしてカコとはどうなった?
>>8
カコちゃんは眼鏡の人と結婚してなかったけか
門田って42位で典型的なおっさんみたいな容姿してたからイチローに「門田さん老けすぎでしょw」弄られてたな
その歳でも31本ホームラン打ってるのも凄い
あれ?門田って*でなかったっけ?
>>11
ドカベン香川と間違えてるんじゃない?
>>12
横からだが俺も間違えてたわ
ここで重要なのは引退末期に南海で長く一緒に過ごした野村
のチームに、代打屋として参加するという夢物語
門田が受けていたら実現はしただろう
ヤクルトには晩年の代打杉浦いたからな。
日シリ西武香取からの代打満塁ホームランは見事だった
>>15
その劇的なホームランを見ながら敵将の森監督は「今の球で空振りが取れないとは鹿取の調子がいまいちだな。以降は抑えの軸を潮崎にするか」なんて事を考えてたんだぜ。
>>15
杉浦ってあの年で現役引退だったような
翌年もいたっけ?
>>43
翌年の日本一を見届けて引退
門田が江夏を車で送ってた?
チャリで球場通ってなかったっけ?
>>18
それも香川だろ
>>20
w
>>18
アキレス腱を切ってからは電車通勤になった
あぶさんは選手晩年で三冠王を何回
取ったんだろ? 60歳前後まで現役?
真剣に読んでないから、アレだけど
漫画だからて適当過ぎだろと途中から
たまーにしか読まなくなったけどw
岩田鉄五郎とあぶさんはキャラも違うし
現実的な年齢で引退させて欲しかったな
>>23
俺も景浦は40くらいで引退してスカウトや二軍コーチとしてホークスで
働くとこ見たかったわ
ホークスが福岡に移転するのに自分だけワガママ言って関西に残った男
>>24
奈良に豪邸あるんだから逆になんで一緒に行かなくちゃいけないんだ?
>>48
そんなもんホークスの選手ほとんどが関西に家あるだろ
>>48
球場へは電車通勤。
南海の選手なのに近鉄奈良線。
>>66
生まれは山口ってだけで門田のルーツは奈良の五条中学・天理高校
大阪球場は特急始発駅の難波駅前だったし特急で通うのにちょうど
よかっただろう
>>66
高級住宅街の学園前だよね
近所で息子は中学の後輩やったわー
>>24
家族の事情もあったから仕方ない
>>24
この時移籍先に近鉄も名乗りを上げたけど、
もしも近鉄に行ってたらどうなっていたんだろうか
>>122
1989年の近鉄は指名打者が日替わり状態で
代打要員の中谷忠己が準レギュラーになる
くらい
つまり門田の起用法で悩む心配なし
>>24
オリックスが広い神戸GSに移転するときは再度ワガママを通して福岡に行ったからな。
別に人格者のイメージはなかったからいいけど。
>>148
オリ側も切りたかった。翌年ブーマーも切った。
1992年10月門田引退
1993年2月江夏逮捕
つまり門田に電話した頃の江夏って・・・w
>>30
江夏って賭けトランプやって捕まって
謝罪会見の時にトランプ柄のセーター着て会見やったんだよな
>>110
柴田勲や
今どうしてるのか分からない人
門田博光
正田耕三
大村直之
>>32
正田は最近まで韓国でコーチやってなかったかな
阪神にロサリオが来たとき、韓国で指導経験のある正田がインタビューされてたような気がする
>>32
正田はリアルタイムで野々垣YOTUBE出て半生語ってる
>>32
太洋の中山投手
種田選手
門田のWikipediaの野村との関係は面白い
仲悪いじゃないか
>>34
決して慣れ合わず、仕事だけはきっちりやってお互いを認める
これほどカッコいいことはないわな
大村はほっともっとの店長
>>35
海外にいるんでなかった?
門田とソフトバンクって仲悪いの?
引退後関わったって話を全然聞かない
>>37
福岡ドームでのセレモニーか何かに呼ばれてたことはあったと思う
>>37
最後はダイエーで引退したんたから悪くはない
>>37
体調が悪くて福岡に行きたくないってだけだろう
すぎうらが92年で引退予定だったから声をかけたんだろうな
ただ、野村が頼み込んだこともあり杉浦が現役続行した時点で、門田が入りたいといってももう取ってもらえなかっただろう
いくら層の薄い時代だったとはいえ、じじいの代打を2人はいらんからねえ
>>52
八重樫「せやな」
この人スーパーレジェンドの割に影薄いよね
>>53
門田は草と同じく典型的な弱小球団のお山の大将
チームの勝利は眼中になく自分のことしか頭にないタイプ
そんな門田をノムさんが獲得する意向があったとしたら、
若手もベテランもベンチもフロントも、チーム一丸で優勝に向かうスワローズの姿勢を最後に体感させてやりたかったのだろう
南海でともに主力を張ってたころから門田と野村の関係が微妙だったことは門田自身が過去のインタビューで言ってるからな
3番になった門田が前の走者をかえしてしまうために4番の野村の打点が前年に比べて大きく減った時はベンチ裏で色々あったと言ってたし
ホームランのための打撃理論も野村と門田は正反対
野村は「ホームランはヒットの延長。ホームランを打つのに力は必要ない」
門田は「ホームランのために内臓がねじれるくらいに力を入れて打つ。ホームランの打ちそこないがヒットになってくれる」
門田の打撃練習のときに後ろにやってきた野村が「「強いんだよ」とつぶやいてたとか
オールスターのときに野村が門田を王のところまで連れていき、野村が王に「ホームランはヒットの延長だよなあ」と話しかけてそれを門田に聞かせたりとかあった
門田はそのときも物怖じすることなく「いえホームランの打ちそこないがヒットです」と答えたとか
>>54
実は王も全打席ホームラン狙っていて、チームプレイなんて抜*奴は三流だとイチローとの対談で話ていた。
打撃タイトル数個取れば超一流なのに222年間の間に33個のタイトル取った異常なのが王だぞ。
イチローでさえメジャー入れて10個しかタイトルないw
😙ハリーでも7つだぞw
>>87
22年なw
>>54
門田を抜擢したのも大嫌いな富田勝を干す
ための理由が欲しかったからだしなあ
関東では無名
>>68
ブーマーとハイタッチしたら脱臼しちゃったパリーグの珍プレー王として有名
>>68
無知自慢*(笑)
>>68
お前が無知なだけ
門田は現役時代の稼ぎを散財しなかったので悠々自適らしい
>>77
電車通勤してたらしいからホームのときは飲みに行かないで真っ直ぐ自宅に帰ってたのかな?
>>79
香川なんかはタニマチに誘われてはミナミでタダ飯と
ただ酒三昧で太りまくったそうだが、門田は性格的に
そういうの断ってたのかもな
>>79
門田さんは学園前から難波まで近鉄電車で通勤してたんやで
1(二)井口
2(右)柳田
3(一)松中
4(指)門田
5(捕)野村
6(左)内川
7(三)小久保
8(遊)木塚
9(中)広瀬
>>85
1(遊)松井稼頭央
2(左)秋山翔吾
3(中)秋山幸二
4(一)清原
5(三)中村
6(指)山川
7(右)栗山
8(捕)伊東
9(二)辻
門田は南海時代のノムさんに反発して指導に手を焼かせた『南海の三悪人』の1人。残り2人は江夏と江本。
>>86
その三人に菓子比べたら山崎武司なんて可愛いもんって言いきったんだよなノムさんはw
どんだけクセもんなんだよその三人はw
>>86
しかしあれだけの癖のある3人を上手に使いこなして
優勝したんやから まあ野村以外はできんわね
>>106
柏原みたいな輩がノムさんのいない南海には用は無いって出てっちゃうし
エモやんだって時折ボロクソに言ってたけど
著者では育ててくれて感謝してると書いてたし
体調崩して先発完投が出来なくなった江夏のリリーフ選任は優勝請負人の二つ名と共に選手生命を大幅に伸ばした
選手は知っていたんだよね
>>111
江夏は移籍1年目は先発
そもそも血行障害で長いイニングが投げられない
江夏をリリーフ転向させたのは阪神の吉田監督
だから野村はリリーフ登板に不満たらたらな江夏
を何とか説得したというだけのことなんだよ
>>131
吉田監督がリリーフ転向させた割に阪神最終年
27試合先発? こんなのはリリーフ転向とは言わん
セーブいくつかあげてるが昭和の投手はリリーフも
兼任させられることが多かっただけとしか
そもそもが「江夏は移籍1年目は先発」と自分でレスしてるのに?
リリーフ転向は南海2年目とするしかないだろう
江夏もリリーフ転向当初は前例もなく調整法で苦労したと書いてる
>>131
意地でも野村を全否定したがる奴(笑)
>>106
江夏のいた頃に南海は優勝していない
>>106
優勝した頃には江夏は居ない
大嫌いな富田勝が山内新一(と松原明夫)に
化けたのが大きかった
それまで心皿注いで勝負してきた
ってあるけど心血と心皿を間違えるか?
どんな変換してるんだ?
>>95
ライターが今時珍しく原稿用紙に直接書いた文字が汚くてパソコンに打ち直すバイトが間違えたんだろ
門田って40代なんかただ居たくらいじゃん。
一番記憶がブーマーとハイタッチ脱臼とかないわ
>>96
44、33、31、18、7本これが40歳から44歳の時の本塁打数なんだけど
あぶさん最初から読んできたけど福岡ドームあたりからツラくなってきた
やっぱ南海までだな
>>98
代打屋時代までだよ。指名打者だのタイトルホルダーだのになって水島の悪い癖が出た
ランナー1.3塁の犠牲フライのチャンスに代打を出され
「俺の代打の湯上谷などダブルプレイに倒れてしまえ!!」
とチームの敗戦を呪って引退を決意したらしいわ。
家帰って嫁に、門田「引退するよ」 嫁「ご苦労様」とやり取りしたって
近藤唯之の子供向けに書かれた本に書いてあった。
>>99
ザッと調べたがそんな試合はないな
門田がダイエーにいた2年間湯上谷はほとんどスタメン出場
>>99
西武時代の野村克也じゃねえか
「犠飛を打つのは俺が一番上手いんだ。
鈴木葉留彦なんか凡退してしまえ」
若い頃は俊足強肩の外野手で、ライトゴロをバシバシ決めてたらしいな
>>101
ああ見えてアキレス腱を切るまでは俊足だったらしい
門田は何でも自分で処理する完全な一匹狼なので、
DQN子分を引き連れるエセ一匹狼の江夏や、面倒臭い江本らの
構ってちゃん二人とは違って、監督としては手がかからなくて楽そうなんだが
>>115
自分で決めるのは監督ひとりでいい
選手の立場で方針を無視してそれをやるから使う側は面倒なんだ
>>115
池山に野村監督はブンブン振り舞わすのではなくて
確実性求め池山もそれに従ったが、門田は頑なに
チームバッティングを拒否して「ホームラン打てばええやろ」
と振り回すスタンスを捨てなかった
全く言うことを聞かない主力は監督はとってはやりにくい
野村南海
70.2位
71.4位
72.3位
73.通算3位(前1位:後3位)日シリ出場
74.通算3位(前4位:後2位)
75.通算5位(前5位:後3位)
76.通算2位(前2位:後2位)
77.通算2位(前2位:後3位)
>>116
1975年に野村沙知代の現場介入が顕著になり
江本孟紀と西岡三四郎が選手を代表して抗議
するやオフにトレード
江本との交換でやってきたのが江夏豊なので
この二人は同時には在籍してない
YouTubeに88年の門田のドキュメンタリーあるけど電車で出勤する風景とか普通のサラリーマンのおっさんにしか見えない
>>134
今見たら40歳で息子16歳娘13歳ならそりゃ貫禄あるわな
このクラスがセリーグ行ったらどうなってたんだろう。王さんの55本行ってたかもな
速球派投手少なかったし
>>135
守れない走れない変化球に対応できない
一塁手へのコンバートを受け入れなければレギュラーは無理
>>135
実際掛布雅之とのトレード話があった
コメントを残す