1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。
ドラフト外、背番号81の投手から台頭
めっきり近年は減ってきたが、1980年代は毎日のように、どこかのチャンネルで放送されていたテレビ時代劇のラストシーン、ヒーローが悪人をバッタバッタと斬り倒す立ち回りを想像していただきたい。
見事な剣さばきで、1人で大勢を斬り伏せる段取りなのだが、ヒーローが強く見えるためには、“斬られ役”が堅実かつ派手に、ちゃんと斬られてあげなければ成立しない。
さっき斬られた男が、すぐ後に違う扮装で再登場して斬られても、見ている人は気づかなかったりもする存在なのだが、それには熟練の技術が必要だ。
その技術は殺陣の“芯”として剣を振るう作業もカバーしていて、スターが別のシーンを撮影している間に、殺陣の段取りをチームで構築しているという。
こうした職人がいなければ、スターの剣さばきも“一人芝居”に過ぎない。
プロ野球の世界にも華やかなプレーで喝采を浴びるスター選手がいる。だが、堂々たる主役ぶりでファンを沸かせても、1人で野球をすることはできない。
スターが輝くためにも、やはりバイプレーヤーによる“お膳立て”が不可欠だ。映画やドラマでも、長くバイプレーヤーを務めてきた俳優が主役を張ることで独特の世界観が立ち上がることがあるが、
プロ野球もバイプレーヤーがスターを食う展開を見せると、妙に味わい深かったりする。
ひと言でバイプレーヤーといっても個性は多彩だが、二番打者としての堅実なバントを自身のトレードマークとしながらも、役割が一番打者となったら盗塁王へと駆け上がった平野謙は、そんな名バイプレーヤーの筆頭格といえるだろう。
愛知県の犬山高から名商大を経て、ドラフト外で78年に地元の中日へ。“裏技”や“寝技”によるドラフト外ではない。しかも、投手として。与えられた背番号は81番だった。
二軍では白星もあったものの芽が出ず、翌79年に外野手へ転向。キャンプで背番号は57番に変更されたが、
「よっしゃ、いい番号……と思ったら、俺より大きい背番号は3人くらいしかいなかった」
と、のちに笑って振り返る。スイッチヒッターに挑戦したのが80年だ。
「利き目が右だったのかな。左打席のほうが前で球を見られるから得意だった」
翌81年に就任した近藤貞雄監督に見出されて一軍デビュー。ただ、110試合に出場したものの、打数も同じ110だ。
代走として初出場して、初打席では適時三塁打を放っているが、その後も代走と守備固めがメーン。
8月下旬になって、ようやく二番打者としての先発出場を増やしていった。
背番号57で優勝に貢献
迎えた82年、中堅の定位置を不動のものとすると、二番打者にも定着。荒々しい“野武士野球”を持ち味としつつも、チーム63盗塁と機動力に欠けていた中日にあって、
出塁率の高い一番打者の田尾安志が走らない分、その得点圏への進塁には、二番打者による堅実な送りバントが求められた。
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2019年1月20日(日) 11:05
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(出典 Youtube)
中日 平野謙
(出典 Youtube)
ロッテ 平野
http://npb.jp/bis/players/41043863.html
成績
>>1
平野と川相のバントは天才レベル
コーチに成って教えても誰もマスター出来なかった。
「(近藤監督から)『4打席で全部セーフティーバントを狙ってみろ、2つ成功したら5割打者になれるぞ』と言われた。半分は笑ってたけど、半分は本気だったと思う。
確かにそうだけど、『一応バッティング練習してますから、振らせてください』って(笑)」
最終的には近藤昭仁(大洋)が65年にマークしたシーズン41犠打をも上回り、リーグ最多の51犠打。
1人のバイプレーヤーが、プロ野球の歴史におけるトップに立った瞬間だった。一方で、のちのリードオフマンとしての適性もうかがえるシーズンでもあり、貴重な韋駄天として20盗塁もマークして、中日のリーグ優勝に貢献。ただ、
「(当時は)大きい背番号だと一軍に上がれなかった。ファームから来た“お手伝い”みたいで居心地は悪かったね」
こう語る一方で、
「ちょうど昭和57年(の優勝)で、おふくろの命日が5月7日なんだ。だから、おふくろが背中で見守ってくれている、助けてくれている、と思いながら、やっていたよ」
AKD砲へのつなぎ役として
ことプロ野球においては、バイプレーヤーがスターを食うことはあっても、スターがバイプレーヤーに徹するのは難しい。
1980年代の前半、中日の打線には、谷沢健一や田尾安志ら巧打と強打を兼ね備えた好打者に、大島康徳や宇野勝ら長距離砲と、主役タイプがズラリ。
1人のスターを複数のバイプレーヤーが支えるというより、平野謙、という1人の名バイプレーヤーが、複数の主役を支えるような構図だった。
84年オフに田尾がトレードで西武へ放出されると、この構図が一変。83年からはスター選手が着けることが多い背番号3となっていたものの、
それでもバイプレーヤーに徹し続けていたバントの職人が新たに求められたのは、リードオフマンという華やかな役割だった。
>>2
>谷沢田尾大島宇野平野
今の球界での立ち位置で
大島が一番上になるとは思わなかったな
星野がトレードで出したお蔭で
名球会入りにハム監督 WBC王JAPANコーチでNHK解説者重鎮格になった
>>51
犬山高OBに大先輩中日OBが居たのも
中日入り出来た一因
青春金物店の人やろ
>>8
NHKでドラマになったよね
辻
平野
秋山
清原
デストラーデ
石毛
日替わり
伊東
田辺
>>11
意外性の苫篠で
>>11
辻…西武監督
平野…独立リーグ監督
秋山…ソフトバンク監督
清原…監獄
デストラーデ…
石毛…オリックス監督
日替わり
伊東…西武ロッテ監督
田辺…西武監督
一番田尾が塁に出て
二番平野が送りバント
三番モッカが タイムリー
ゲーリーゲーリーホームラン!
>>13
ヒーローがんばれ!
>>13
モッカとゲーリーは被ってない
入れ替わり
小野が最多勝で中日が得したと思ったらその一年だけだったな
何か西本や関川とか中日のトレードは大活躍しても長く続かない印象
>>15
それで優勝できたらまだええ方やろ
>>15
星野は継続性なんて求めてないよ
1シーズン活躍してくれればいいって感覚だよ
川相が殿堂入り投票で結構な数集めてたけど、
実際のとこトータルの数値なら平野の方がかなり上だな
>>16
川相昌弘はショートでゴールデングラブ六回受賞だから、守備含めたトータルまで今風に評価すればいい勝負なんじゃないの
この人のライトからの返球かっこよかった
強肩の部類だよね
>>17
羽生田ってもっと強肩がいた
西武黄金時代のキャッチャーか
名前以外覚えてない
>>28
それ伊東や
>>28
本文一切読まないってすごいな
たった一年の優勝を買うために平野を手放した中日のやり方はありなのか?
>>34
ありです
>>35
巨人のV9には及ばなかったかも
>>34
お前、あの広島さんが25年間も優勝できなかったの知らないの?
平野は西武のイメージしかない
秋山平野ジャクソンの外野は鉄壁でプロ野球史上で最強の外野布陣たったと思う
>>42
イチロー田口本西のほうが上だと思う
>>42
ジャクソンがいた頃、もう秋山も平野も西武じゃねーだろ
1番平野が塁に出て♪
>>46
2番平野が送って~♪
はしれー、はしれ、ひらーーーのけーーーん♪
>>47
懐かしす(・_・;)
犬山高校出身でプロ入りがすごいわ。
特にスポーツに力入れてない学力レベルも何も
特筆のない公立高校だから。
おそらくリトルやシニアリーグにも所属してい
なくて、野球学校の目に留まらなかったんだろ
うな。
>>51
両親が立て続けに亡くなって、姉が高校辞めて金物屋を継いで、平野も中学時代は手伝っていた。
結局実家を売って犬山市に引っ越したから地元の高校に進んだ
>>51
まあ高卒後、名商大で活躍してからプロになったからな。
犬山高から直接プロ入りしてたらスカウトすげーだったんだろうがw
しかしスポーツ用品店店主さんのプッシュがあったとはいえ、
蒲郡高校から千賀を取ったソフトバンクのスカウトは改めてスゲーわw
田尾といい中尾といい平野といい、なんで次々に放出されるのか子供心に謎だった。牛島は理解できたが
>>52
その前から島谷金二だの井上弘昭だの放出してたけどな
平野は星野に逆らって出されたんじゃなかったっけ。
>>54
あとワシが育てた彦野を使いたかった
彦野みたいに闘志を表に出すタイプを好んだというものあるな
>>54
星野「俺のやり方が気に入らない奴は出ていけ」
平野「はい、出ていきます」
何回かあった
レフト北村
センター秋山
ライト平野
が最強の布陣
>>59
北村?吉竹じゃなくて?
>>69
金森とのトレードで西武にきた
>>59
レフト 平野
センター 秋山
ライト 羽生田
が最強じゃね?
羽生田がスタメンの時は羽生田の強肩を活*ために、平野レフトだったんだよなあ
>>86
羽生田はバッティングがダメ
吉竹と安倍ほど期待に応えてくれない
>>95
いや北村あげて最強って言ってるから、守備だけだと思ったんだがw
とはいえ、羽生田って実は.270くらいは打ってるんだけどね
当時の西武の打線が凄すぎて打てな過ぎるイメージが付き過ぎたよな
この頃の西武って、トレードで取った選手を
いい意味でとことん使い切ってたイメージがある
田尾だけだろ、期待はずれだったの
>>78
片平のリリースが若干早かったようには思う。翌年も日本一になれたから良いけど、かなりの貧打だったからなあ。
>>88
あれ不思議なトレードだったよなあ
広瀬(だっけ?)とかいうドラ1とはいえたいした成績残してないピッチャーをとるのに
DHでレギュラーだった片平と中継ぎで使い倒してた永射のふたりも出すという
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